2019年12月8日
12月6日は酔っ払い翌日にまで尾を引き…(でもすごく美味しい料理とワインだった)
そんなわけで7日はほとんど頭が回らない中なんとか生き抜き
8日。休日だ。朝9時に起き、洗濯を回し、シーツ等も洗い、パンも焼いて食べた。良い感じ。
そして特別なことが3点ほどあった。
①『まだ見ぬ あなたに』の観賞
②marini*monteanyさんの展示
③トクマルシューゴとjohn john festivalのライブ
特にライブは興奮冷めなかったな。
家着いて猫に噛まれて冷めたな。
翌朝の今も冷静。
冷静だけれど、確実にわたしの生きる力になっていることを感じる。
生命力のあるような、楽しく、身体に残るライブだったってことかな。そんな解釈はどうでもいいけど、
年末のおおきな喜び でした。
2019年12月5日
今日でやっと1週間が終わり、明日が休日だ〜!しかし土曜日は人前で話すイベント。思いやられる。。が、考えすぎないようにしよう。時間配分だけリハーサルして、それ以外は考えないことにしよう。うん。
6日間仕事=拘束されてる ということなので、よくがんばりました。せあかふやぬ
寝落ちした。
最後の謎の入力もそのまま載せておこうw
2019年12月4日
下書きからアップされてなかった。
↓
今日も疲れた。
それでも毎日書いていると、この疲れを構成するあれこれについて研究できるかもなという気になってくる。
書いてみよう。今日の疲れについて。
聞きたくない話を延々に聞かなければならない、あるいはそういう話が延々と耳に入ってくるのは嫌だ。疲れる。
昨日は、会社の我がチームと別部署の代表者で話し合ったことが、あまりにも伝わっていなくてがっかりした。しかしそれ以上に、伝わっていないことに対してチームのメンバーが代表者に怒りを延々と向け続けたことにうんざりした。
がっかりではないが、うんざり。不満を言い続け話を広げすぎるので、もうわかったよ、、、という気になってくる。適度に切り上げて自分のすべき仕事に行動を切り替えたい。
女性同士のお喋りは別に嫌じゃないけど、1時間を越してくると疲れてくるのと同じかな。
昨日はそれに加え、別の人が、伝達事項の中でも枝葉の部分を延々に語り、本題までなかなか辿りつかないことにイライラした。
そんなこともあって、ミーティング時間が超過するとそわそわしてきた。
今日もまた会社のチームメンバーが、上司や別チームの方への文句や不満を爆発させていたので、疲れてしまった。私は文句や不満に思うことはそこまでないから、メンバーとのギャップも感じる。ここに染まってはいけないという気持ちもある。だけど自分の気持ちはなかなか言えず、もやもや。
これらから共通していえることは、
話を聞きすぎるとよくない
自分の時間を奪われると不快←これだ!!!
時間を自分の意思にかかわらず拘束されるから、仕事に行くのも嫌なんだな!
これがしっくりきました。
ここからどう折り合いをつけていくかですね。。
2019年12月3日
帰宅して、いらないものをまとめた。まだまだだけどすっきりした。たくさん捨てます。
もっといえば、ペンタブで何か描きたかった。
なんだか、自分の中には何もなく、自分の生きる社会に適合するようなものだけが残っているような気がする。つまらないなぁ。
自分は何が好きなのか、何をしたいのか、何を感じているのか、完全に見えなくなっている。
体の声をちゃんと聴きたい。
ある程度満たされているから、自分のことが分からなくなっているのかな?
例えばすごい不満があったら、何が嫌なのか、どうだったらいいのかが浮き彫りになる。
だから、不満という感情は、使いようによっては、すごく有益になる!
ということに、気づいてしまった!!
さて、
そんな今の体の声は、
気分的には意外と満足。1人でいたい。明日面倒。寝てたい。じわーっと横になりたい。
よくわからないな。
わからないでまとめてはいけない。わからないってなに?
焦り。なにかの。
不満。(でた!!)休みたい。だらけまくりたい。歩きたい。自然に触れたい。
そんなところ?
眠いから寝る。
2019年12月2日
坂口恭介さんの、『まとまらない人』を読み始めた。
書き続けること、というか、身体を使うことや表現を続けることが大事だと思ったので、書いてみようという試み。
どこに何を書けばいいのか。
いいのです。
書けば。
たぶん。。
同居人の作ったお蕎麦。
ひき肉の塊と玉ねぎときのこいろいろ。
きのこの旨味が滲み出ていてとってもとても美味しかった。
私は料理がとても好きだったけど、今はとにかく面倒でしかない。
時間がもっとたくさんあれば、いろいろ作りたいのになぁと思うのでした。
やらないことの言い訳のようだ。
やりたくないことをやっているから不調になる
って、本当にそうだな。
やりたいことをちゃんとやっていきたいな、
と、漠然と思ってる。
自分に素直に。
昨日一昨日は休日もどこか憂うつな気分だった。
だけど昨晩気づいたのは、8年くらい前も今も同じようなことで苦労してるってこと。今と違うことは、自分の気持ちに正直であること、感性を言葉にすること。
もっとしっかり外の穏やかな空気や自分の気持ちを感じようと思った。
感じ過ぎたり考え過ぎたりすると、気分はどんどん不調になる。(マイナス思考のフィルターがかかるからね。)
だから、外部の不快な刺激や考える隙を入れないようにしている。それがいいのか悪いのか。
本当は不快なものさえも受け入れられたらいいんだろうけど。今は嫌な気持ちがすぐに膨らみ、何も考えられずに爆発してしまいそう。いつになることやらね。
みっつの涙
みっつの涙 コトリンゴ
ことばが苦手な わたしのために
だれかが三つの 涙くれた
うれし、かなし、くやし涙
一年の半分は
くやし涙が 占めていて
残りはんぶん そのまたはんぶん
うれし涙に かなし涙
出だしの歌詞にすごく共感してしまった。
今日もほんとうにことばが苦手で
伝えたいことを伝えられなくて
くやしい思いをした。
1年の半分はくやし涙というのも真実だ。
ちなみにこの曲、音色も素敵です。
涙というのはいろいろな気持ちが合わさったときに出てくるものだと思う。
うれしさ一色だけでもなく、かなしさ一色でもなく。
ことばにならない感情の一つの表現方法が涙。
涙に込められているその人の思いをふわふわっとイメージしてみると…それはどんな体験になるだろう。